近平

近平の歴史

兵庫県神崎郡市川町、近平(ちから)。
「ちから」と読む、市川西岸の小さな村。
百五十年、子どもらの声が響く学び舎の里。

「ちから」と読む村

近平と書いて「ちから」——初めての人にはまず読めない、めずらしい地名です。由来を記した文書は見つかっていません。古代の神崎郡が市川を境に東西に分かれたとき、このあたりは西側の神西郡になりました。近平は、その神西郡の小さな村のひとつです。

姫路藩領の三百石

江戸時代の近平村は、一貫して姫路藩の領地でした。正保の郷帳には田方251石余・畑方41石余、天保の郷帳では371石余。大きくはないけれど、市川ぞいの田を丁寧に耕してきた村です。

実りの神々——大谷神社

村の鎮守は大谷神社(おおたにじんじゃ)。まつられているのは食物を司る豊受大神で、若歳神・大歳神・御歳神——年の実りを司る神々がともにまつられています。例祭は10月17日。顔ぶれのすべてが実りにつながる、田んぼの村らしいお宮です。

学び舎の百五十年

明治6年(1873年)、学制発布の翌年に甘地小学校が開かれました。その校舎があるのが、ここ近平です。以来百五十年あまり、甘地エリアの子どもたちは近平の学び舎に通ってきました。いまは鶴居小学校との統合の話が進んでいます——だからこそ、子どもらの声が響くこの風景を、記録しておきたいのです。

甘地村から市川町へ

明治22年(1889年)、近平は甘地ほか6か村とともに甘地村となり、昭和30年(1955年)の合併で市川町の大字になりました。いまの近平には、野菜の苗を育てて60年の農場や、小さなパン屋の窯の火——学び舎のまわりで、村の暮らしが続いています。